イベント

水曜朝礼

DATE : 2011/1/18
日程:1月12日(水)

 

今週の「水曜朝礼」は
高校3年副担任の蛭間先生よりお話がありました。

 今日皆さんにお話をさせていただく機会をいただきましたので、一つのお願い?と私のモットーについてこれから時間の許す限りしゃべり続けようと思います。ぜひ、辛抱して聴いてください。
 早速ですが、お願いとはその辛抱して聴いてくださいということとほぼ同じことなのですが、正確に言えば、『人の話をしっかり注意して聴き、何事にも好奇心をもってもらいたいということです。』よく授業中に私は、私語をする生徒に対して、「なんでお前がしゃべるんだよ。今は俺がしゃべってるんだよ。」といいます。かなり乱暴な言葉ですし、先生の注意の仕方としてはいただけないですね。教科書的には、「私語は慎みなさい。とても大切な話を先生はしているのですから、しっかり聞きなさい。」というべきなのでしょう。まあ、言い方はともかく、人間は、いや多くの動物はそうすべき身体的構造を備えているんですね。だって、口は一つだけど耳は2つあるでしょ。だから、しゃべることもとっても大切だけど、自分がしゃべる倍のことを聴けってことですよ。そして、聴くというのは、何も耳でだけじゃないんですよ。目では普通、ものを見るといいますが、目で見て、「あれ、これなんだ? これは、どうしてこうなるんだ?」とか思うことがあるでしょ?(もしそんなことがない人がいたら、今日からすぐにそう思うようにしなさい。)そうしたら、その疑問というか不思議というかそれをすぐに調べてみたり、人に聞いてみたりすることです。ここでいう聞くというのは自分で辞書などで調べることも入っていますよ。辞書に聞くんです。とにかく疑問をできるだけ見つけて、それを解決していく営みが大切なんだということです。
 こんな感覚で毎日を生きてもらったら、朝起きて登校するまでの通学路でも様々な風景(光景)を目にすることができますよね。電車やバスの中の人々の様子や中刷り広告などなど様々な疑問を提供してくれる素材は後を絶ちません。家でテレビを見ていても、何をしていてもとにかく貪欲に知ろうという営みを続けてほしいと願っています。
 昨年の大みそかに今話題になってる「池上彰」さんが、生放送で様々な疑問に答えるという番組をやっていましたが、我が家でも「NHK紅白歌合戦」を見つつ、ときどきチャンネルをかえてみたのですが、あの日の池上さんはちょっときつかったですね。つまり、あれだけ博識の方でも、やはり不確かな知識もあって、答え方に「キレ」がないんですね。ちょっと「ドギマギ」って感じですかね。(余計な話ですけど紅白歌合戦ってのもすごい名称ですね。戦国時代じゃないんだから何も「合戦」とか言わなくてもよさそうな気もしますよね。さらに、いまだに女性が紅組で男性が白組というのも21世紀にはどんなもんなんだろうか?とか、いろいろ考えることはあるでしょ。)何を言いたいのかといえば、人の知識には限りがあって、どれだけすごい人でもなかなか何でも知ってるというわけにはいかないということなんです。だから人は学び続けるんですよ。
 ちなみに私は、何か気なることがあったらすぐにメモをとったり、その場で聞けるようなら聞くようにしています。みなさんはこの1年間の朝礼でたくさんの先生方のお話を聞いて心に残ったものがどれくらいありますか?黄金比プリンの話は覚えていますか?アムンゼンの話は?言葉のうるおいの話は?どんないいお話を聞いても、悲しいことに人間はすぐに忘れてしまうんですよ。だから、心の手帳だけなく、本当の手帳にもメモしておくことが大切なんです。
 ともかくも世の中には私たちが知らないことが実にたくさんあるのですよ。学校で勉強できることはその中で、できるだけ多くの人が等しく知るべき知識を学んでいるんです。それはある意味必要最低限であって、他にもまだまだたくさんの知るべきことがこの世の中にはあるんです。だから私たちは貪欲に知ろうとしなければならないんですね。このことを古代ギリシャの哲学者ソクラテスは「無知の知」という言葉で私たちに説明しています。紀元前(469年~399年4月7日)に生きた人ですが、この人が神様からのお告げで古代ギリシャには「ソクラテス以上の知者は一人もいない」と言われた。それを信じられなかったソクラテスは、知識人を自称する人を訪ね歩いていろいろ問答を繰り返すうちにその知識人たちは確かにその専門分野についてはよく知っているが、どうすれば人は善く生きられるのかなど根本知については何もわかっていない。さらにわかっていないにもかかわらずわかっているような気になっている。このことから、「自分はまだ、何も知らない(知らないことがたくさんある)が、知らないことに気付いている。」この一点でほかの人より優れていると神様は言ったのだろうと結論付けたのです。このソクラテスの考え方に高校生だった私はものすごく共感したんです。それ以来、私の暮らしのモットーの一つが「無知の知」になりました。
 まあ、そのモットーからすれば、よくわかりもしない人の生き方についてみなさんの前でお時間をいただいてお話をするのは極めて僭越だとは思いましたが、もしもかろうじてその根拠を示すとするならば、若干ではありますが、みなさんより多くの時を生きてきているからだということでご了承ください。
哲学の話が出たので、ここで、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の話を紹介させてください。今、ものすごく話題になっているので、みなさんもテレビや本でみたり読んだりした人もいるかと思います。サンデル先生の講義は大変面白い講義で、哲学という難しい勉強を私たちにわかりやすく、より多くの人々に考える機会を与えてくれていると思います。たとえば、カントという哲学者がいるのですが、この人の本はとにかく難解で何を言っているのか彼の著作(例えば、道徳形而上学言論な)を読んだのでは全く意味不明な感じなのですが(もしかすると私の頭が悪いからなのかもしれないですけど)、サンデル先生の講義や本を読むと何となくカントの言ってることがわかってくるんですよ。なので、高校3年生の現代社会という授業では、サンデル先生のDVDを使って、みんなで議論したりしています。哲学的課題は答えというものがはっきり出ないものですからなかなかしっくりこないものですが、だからと言ってこのような問題に目をそむけて生きていくとこはできない問題なのです。だから私たちは考え続けなければならないのです。
 人生の中で私たちは、様々な選択を迫れる場面に出くわします。その時にどのような選択をするか?その選択の基準をどこに置くのか。などなどを議論しているのがサンデル先生のJUSTICE~正義について語ろう~です。
 例えば、私は今までずっとこの世の中の土地は誰のものなのだろうかということをずっと考えてきました。不思議じゃないですか?みなさんの多くも大人になったら家や土地を買うことになるのではないでしょうか?家はともかく、土地はもともとそこにあるのに何でお金を払って買うのでしょう。その最初の人はどうやってその土地を手に入れたのでしょう?そんなこともサンデル先生の議論の対象なんです。
 今日ここですべてをご説明することはできませんが、授業でお話しする機会があればそこで、また、授業のない人には放課後でも時間のある時にぜひ声を掛けてください。ぜひ、議論を戦わせましょう。
 私は、何もみなさんのモットーも「無知の知」にしてくださいとお願いしているわけではありませんよ。お願いは、ただ一つ。『人の話をしっかり注意して聴き、何事にも好奇心をもってもらいたいということです。』そして、できればその先にあなたの暮らしのモットーをしっかりもってもらえたらうれしいなと思っています。それは、きっと始業式で校長先生がおっしゃられていた「譲れないプライド」なのかもしれないですね。人生80年とはこれまたよく校長先生がよくおっしゃられることですが、これは、長いんでしょか?それとも短いんでしょか?中高生のみなさんにとってはおそらく長いんでしょうが、すでに折り返してしまった私にとっては短いような気もしてきています。まだ、まだ知るべきことは山積です。いつか孫が生まれるような年齢になった時に「じいちゃん ぼけ倒してるな~」ではなく、「じいちゃん ほんとに何でも知ってるな~」と言われるようになりたいと思っています。すでにモー娘と嵐で止まってしまっているこの知識をぜひ生徒のみなさんのご指導をいただいてせめて、AKBとHey!Say!Jumpまではわかるくらいになりたいなと思っています。これからもお互いに一生懸命、相手の話を聞き、おしゃべりをしていきましょう。せっかくこの世に生まれたのですから・・・。ご清聴、ありがとうございました。ごきげんよう。