イベント

水曜朝礼

DATE : 2010/11/19
日程:11月17日(水)

 

今週の「水曜朝礼」は
中学1年B組の高橋美香先生と
高校1年C組の岡田先生よりお話がありました。

-高橋美香先生-

 今日は、私も皆さんも女性同士ということで「いい女」の話をしたいと思います。
みなさんは「いい女」ってどういう人だと思いますか?
「いい女」と言うと語弊があるなら、「素敵な女性」でもいいです。どういう人でしょう。

やっぱり、きれいな人でないととか、オシャレでないと…と思った人もいるでしょうか。私は思うのですが、外見という面で言うと最近の女の子はみんなかわいくなったと思います。小さいころからたくさんの情報に触れて、自分を良く見せる方法というのに長けるようになったのではないかなあと思っています。
それに、見た目だけなら最終的には何とでもなります。「夜目、遠目、傘の内」という言葉を聞いたことがありますか?女性が美しく見えるのはどんな時かというのを言った言葉ですが、「夜目」は夜の目と書いて夜見る時ということです。遠目は遠くから見た時。傘の内は、傘の下にいると薄暗くなるので美人に見えるということですね。だから最後の手段としては薄暗いところにいればいいのです。外見は何とでもなります。
 
ではどんな人が「いい女」かと言うと、私は美しい言葉を話す女性ではないかなあと思います。
日本語は敬語などあって難しいとも言われますが、それを使いこなして豊かな日本語を話す女性です。
最近テレビなどでもよく言われていますが、今の若い人たちは何でも「やばい」で済ませるという話を聞きます。おいしいものを食べても「やばい」、まずいなと思った時も「やばい」、かわいい人を見た時も「やばい」。何か負の感情を感じた時は何でも「きもい」。「やばい」「きもい」「うざい」こんな言葉が3大ワードではあまりにも情緒がなさすぎます。「やばい」とか「きもい」とか「うざい」っていう言葉は何となくカサカサ・パサパサしたような印象を受けませんか?言葉がカラカラに乾燥している、そんな気がします。やはり言葉にも潤いがないといけないと思うのです。
美人や美男を表す時に「水も滴る」なんて表現を使ったりします。潤んだ瞳に見つめられるとクラッとしてしまいます。潤いというのは人を引きつける大切な要素だと思います。 

そこでまず、あいさつについて考えてみたいと思います。
みなさんは今、あいさつをしっかりやろうと心がけていて、だんだんよくできるようになってきたと思います。
みなさんが使っているあいさつは、「おはようございます」「こんにちは」「さようなら」、謝るときに「すいません」くらいでしょうか。でも実はあいさつってもっとほかにもいろいろあるんです。
私が高校生の時、学校でスキー合宿に行ったのですが、そこにちょうど都内の女子校も来合わせていました。私は茨城のバンカラな高校にいたのでお嬢様学校というのは何となく憧れで、都内の女子校といえばもうお嬢様学校という印象でした。そのお嬢様学校の人たちが、上から次々に、まさに一糸乱れずという感じで列になってスーッスーッと降りてくるんです。さすがお嬢様!と思いながら見ていたのですが、その中の一人がちょっと列から飛び出してしまって私たちのいるところをかすめるような形になってしまったときに、その人がとっさに「申し訳ありません」と言ったのです。スキーで滑っている最中に「申し訳ありません」です!当時の私は謝ると言えば「すいません」でしたから、そうか、こういう言い方もあるんだと、何だか大人っぽいなと思ったのです。
それから、私は去年都内の女子高で、お嬢様学校で1年間勤めたのですが、そこでは号令の時に「ごきげんよう」と言うのです。皆さんは「起立、礼、着席」ですね。その学校は「起立、ごきげんよう、着席」なのです。これから皆さんが授業で「ごきげんよう」と言ったら、多分先生方はびっくりなさると思います。「ごきげんよう」と言われたら私ももちろん「ごきげんよう」と返すのですが、最初は何だか慣れなくて気恥ずかしかったです。でも、それも慣れてきた頃、ある先生の所に生徒が質問に来ていて、その二人が別れるときに「ごきげんよう」とあいさつしていたのです。そっか、普段でも使うんだあ、と何だか新鮮に思ったことを覚えています。
こんなふうに、あいさつ一つでも奥が深いので、ただあいさつするだけでなく、どんなあいさつがあるのかにも目を向けてもらえたらと思います。 

 また、これは紹介も兼ねてですが、最近話題の作家に朝吹真理子さんという人がいます。実は私のゼミの後輩なのでご紹介も兼ねてということなのですが、『新潮』に『流跡』という小説が載り、最近ドゥマゴ文学賞を受賞した作家です。
いくつかの新聞に彼女の記事が載ったと思いますが、先週の土曜日の朝日新聞にも記事が出ていました。彼女はお父さんも詩人だし親族にも文学関係の方が多いのですが、その記事によると、彼女は小さいころからたくさん本を読んでいたそうです。
小学生のころに『南総里見八犬伝』を読んで、そのあやしさにしびれていたと書いてありました。皆さん、『南総里見八犬伝』を読んだことがある人いますか?…あ、いましたね、素晴らしいです。やはりたくさん読書をするというのは、言葉を鍛える上でとても大切なことだと思います。
前に何かで読んだのですが、偉大な作家というのは、裕福な家に生まれその家が没落するとか何か難しい事情をかかえるとか、そういう環境で生まれることが多いそうです。
何で裕福な家庭かというと、それは裕福な家には本がたくさんあるのが普通だからです。それを小さいころから読んでいるのです。小説家というのは言葉の専門家です。言葉に対する感性とか、その使い方とかのプロです。そういう人は小さいころから本をたくさん読んでいるということなのです。みなさんに小説家になれと言っているわけではありませんが、美しい日本語を使う上でたくさんの本を読むというのは大切なことだと思います。特に、みなさんのように若いうちにです。ぜひ多くの本を読んでもらいたいと思います。

 今日は、「いい女」は美しい言葉を話す女性ではないかということで、あいさつと読書の話をしてみました。あいさつを工夫したりたくさん読書をしたりして、美しい言葉を話す女性を目指していきましょう。

-岡田先生-

 毎年このくらいの時期になると、日本経済新聞社の『日経TRENDY』という雑誌が「今年のヒット商品」を特集します。
売り上げだけでなく、普及率や各年代への浸透などさまざまな視点から総合して、今年ヒットした商品やサービスなどをランキングしていますが、今年の1位は何だったか、知っている人はいますか?
・・・そう、「食べるラー油」でした。よく知っていますね。また上位には「AKB48」も入っていました。だれもが支持する「国民的アイドル」ということですが、あまり知らない私は国民ではないのか・・・先生はどちらかというと「AKR47」の方が好きですね・・・これは「赤穂浪士(AKR)47人」と読みます。

ところで赤穂浪士が吉良邸に討ち入った12月14日は、世界では「人類が初めて南極点に到達した日」として知られています。
今から99年前、1911年に、ノルウェーの探検家アムンセンとその一行が成し遂げました。その話しをしたいと思います。
アムンセンが南極点をめざした同じ時期に、イギリスの軍人スコットも初の南極点到達を計画していました。この両者はまさに南極点一番乗りを競ったわけです。
この結果は、皆さん知っての通りアムンセンの勝利に終わりました。スコットはアムンセンより1ヶ月ほど遅れて極点にたどり着き、負けを知りました。そればかりか、スコットとその隊員たちは、基地にたどり着く前に全員が凍死してしまったのです。
アムンセンはなぜ勝ったのか、また、スコットはなぜ負けたのか、負けただけでなく全員が遭難してしまったのはなぜなのか。このことは約100年前の当時からずっと検証されてきました。たとえば、アムンセンは移動手段としてスキーとエスキモー犬による犬ぞりを使いました。この手段は、隊員たちが驚くほど南極大陸に適しており、そのためアムンセン隊の探検は意外なほど順調だったようです。
これに対してスコットは馬と雪上車を使用しました。結果、馬は寒さで倒れ、雪上車は燃料が凍って使いものにならず、最後は重い荷物を人が引いていくしかなくなりました。また、アムンセンは食料調達にも工夫をこらしました。食料などの荷物は行きより帰りの方がより軽くなるので、そり(・・)を引く犬の数も少なくて済みます。アムンセン一行は、役目を終えた犬たちを食料にして進んでいったのです。
ともに南極を駈けてきた犬たちを食料に使うのは残酷な感じがします。しかし、このアムンセンの行動は、「南極点に到達する」という目的から導き出された当然の手段でした。
アムンセンの成功の原因は、ここにあると思います。目的を単純に、より明確にして行動すること。
一方のスコットには、南極点到達のほかに「学術調査」という目的も課せられていました。「探検」だけでなく、何か人類にとって「意義あること」をしなければという観念があったのでしょうか。そして、軍人という立場からか、南極大陸においても軍隊における階級意識にとらわれていたようです。
アムンセン隊が役割を平等に分担したのに対し、スコット隊では軍人に階級によって役割の負担が大きく違ったようです。このことが隊員たちの疲労を強める原因になりました。
スコットには純粋な目的以外にいろいろなしがらみがあったようですね。

皆さんも、勉強や日常生活の中で、いろいろなしがらみから目的を失ってしまうことはないでしょうか。
目的はなるべく単純化すること、その目的を果たすことを第一に考え、「もしこうなったらできない」などの要素を取り払って計画・行動することが必要なのかも知れません。
西堀栄三郎という日本の探検家は、アムンセンの「もし途中で挫折したら、引き返せばいいさ」という精神を、成功の原因と見ました。
一方スコットは、「探検の国」イギリスの軍人としての使命感や責任感、国民の期待などのプレッシャーなどにより「失敗できない」意識が強すぎたのかも知れない。
こうしたことも、皆さんの日常になぞらえて考えることができそうですね。勉強の計画を立てて、計画通りいかないと投げ出したくなったり、計画の通りにやらなきゃというプレッシャーを感じて、勉強ではなく計画をこなすことが目的のようになってしまったり。
計画通り行かなかったら、また計画を立て直せばいいのではないでしょうか。
ひとつ、この両者の行動や考え方から、目的を単純化して真っ直ぐに行動すること、失敗したら引き返せばいいという心持ちで、変にプレッシャーを作らないことがよい結果を生むと言うことを感じてもらえたらと思います。