こんにちは。2021年度卒の東玲実(ひがしれみ)と申します。高校時代は中横陸上部で長距離をやっていました。
現在は中央大学4年です。大学では駅伝部のマネージャーを務め、先日の箱根駅伝をもって引退しました。
岡本先生からのご厚意で、今年の箱根駅伝での経験について、ブログを書かせていただきます。
長く拙い文章になるかと思いますが、お付き合いいただけたら幸いです。
4年目の箱根駅伝の復路では、監督と共に運営管理車に乗って仕事をさせていただきました。
この重要な任務をしっかりとこなすことができるか、不安と緊張でいっぱいでした。
しかし、運営側としていらっしゃった岡本先生と、スタート前にお話しさせていただき、リラックスできました。そして改めて、大会を運営してくださる方々への感謝の気持ちが大きくなりました。
前日のうちに6区の選手や付添、スタッフと共に芦ノ湖付近で宿泊しました。7-10区の選手も同様に、各中継所付近に宿泊していました。当日は2時半起床、朝食を食べ、まだ暗く寒い中、宿付近で早朝練習を行いコンディションをチェックしました。問題なく朝食と練習を行えているかどうか、各選手の付添は逐一グループLINEにて全体共有します。その後、6区の選手と共に6時前に会場入りしました。レースに向けての準備・アップを行う選手の様子を見て、必要なものがあれば渡したり、声をかけたりなどします。そして6時50分に、当日変更のオーダー用紙の提出を行いました。9区が4年白川陽大から4年吉居駿恭に、10区が1年濵口大和から4年吉中祐太に変更でした。「彼らの名前を書くのも最後になるんだなぁ」と思いながら、力を込めてオーダー用紙を記入、監督に確認とサインをもらい、提出しました。
選手やチームスタッフの様子は終始和やかでした。藤原監督は駒澤大学の藤田監督や青山学院大学の原監督とにこやかに会話をしていました。もっとピリピリとした空気が流れているのかと思いきや、監督たちも箱根駅伝という大会自体に慣れているからか、いつも以上に落ち着いているように感じました。それか、気持ちを落ち着かせていたのかもしれません。
助手席の藤原監督から対角にあたる運転席の後ろに座りました。仕事は多岐にわたります。中継所で待機する選手に付き添う部員と連絡を取り合って、スタート前の最後の指示を出す監督との仲介役を務めます。
沿道3,4kmおきにマネジャーを配置しています。各地点のマネジャーはそれぞれ電車などで移動しながら1人複数の区間を受け持ちます。リアルタイムの気温、風向き、日の出方などをグループLINEで情報共有します。刻々と変化する気象情報は、箱根路を走る選手の服装を判断するのに役立ちます。
また、各地点のマネージャーは選手へ熱い声援を送りつつ、その時点での順位、他校とのタイム差を計測します。その際に運営管理車に乗る私は各マネージャーと電話をつなぎ、聞き取った情報を素早くメモに書き記し、監督にそのメモを見せるという作業を繰り返していました。これらの情報は、監督が選手へ声かけをする際に重要なデータとなります。
6区は2年生の並川颯太、昨年当日変更で10区を出走できず涙を飲んだ選手です。この1年で大きく成長した彼の山下りは、他大の有力選手に全く劣らず、力強い走りでした。
7区は2年生の七枝直、ドラフト1位で入部したものの、大学に入ってからは伸び悩み、ずっと苦しい思いをしてきた選手です。ラストの1km、藤原監督は「これまでの悔しさを全部ぶつけるんだ」と声掛けをしました。彼は上半身を大きく揺らしながら必死に応えていました。彼はレース中、きつくなると上半身を大きく揺らし、肩で呼吸をする癖があります。最後まで力を振り絞る姿に鳥肌が立ちました。
8区は2年生の佐藤大介、彼は1年前にも同じ8区を走りましたが区間最下位、低体温症でした。1年かけてこの8区でのリベンジに燃えて力をつけてきました。彼の強みは安定感です。「大介なら、きっと大丈夫。」と安心して見ていられました。
運営管理車の中の空気は、活気に満ちた沿道とは対照的に、かなり冷静なものでした。しかし、度々交わす監督との会話からは、時折緊張を感じました。藤原監督は平静に見えて実際にはかなり感情的な性格です。復路は2位でスタート、7・8区で3位を保っていました。なんとしても3位は守りたいところ。後ろの早稲田大学が迫ってきていることを気にしている様子でした。
9区は4年生の吉居駿恭、中央大学のエース、1年生の頃から全ての駅伝に出走し、チームのために尽力してきてくれた頼もしいキャプテンです。プレッシャーを感じる場面もたくさん乗り越えてきた彼ならきっとやってくれると、そして最後の箱根駅伝は楽しく走ってほしいという思いで背中を見ていました。監督は「駿恭、俺は4年間楽しかったぞ、お前はどうだ。お前の4年間はこんなもんじゃないだろ。」と彼に喝を入れていました。途中の給水地点は同期の永島と西が担当しました。最初はみんな、箱根路を夢見て中央大学に入部します。それでも出走できるのは毎年たったの10人。私の同期は11人いますが、箱根駅伝に出走できたのは4人でした。しかし、給水という役割によって永島と西が箱根路を走る、とても嬉しい光景でした。彼らにも、心の中で「4年間ありがとう」と言いました。
10区は4年の吉中祐太、彼はドラフト最下位近くで入部したものの、大学で花を咲かせ、4年目には副キャプテンを務めました。とても苦しい走りにはなりましたが、1年時に比べて別人級に心も身体も成長した彼の走りを見られて、とても誇らしかったです。また、吉居との襷リレーの光景はとても尊かったです。
今回の箱根駅伝は、私にとっても特別なものでした。大学4年間のマネージャーとしての集大成という言葉には留まりません。中学から続けてきた陸上人生の終結を意味します。私は10区の後半から、箱根駅伝のゴールと共に、自分自身のゴールを感じていました。「これまで様々なことがあったな。」楽しいことも、苦しいことも、十分な程に経験させてもらった陸上。中学・高校では競技者として、大学ではサポートするマネージャーとして。いち早くゴールしてほしいような、終わってほしくないような、複雑な心情から、最後の3kmは込み上げる涙を抑えることに必死で、あまり仕事ができませんでした。しかし、監督から要望や指示は特に出ませんでした。最後は吉中の背中をただ見守るだけ。レースの動向に関する情報よりも、最後は気持ち。ただそれだけを監督は吉中に伝え続けていました。
結果は5位、選手たちの表情はただ悔しさに溢れていました。5位で悔しいと思えること、堂々と優勝を目標に掲げることができること、これが中央大学の強さと伸び代を表していると私は思います。選手たちは自分にストイックです。そして結果主義的な性格を持つため、結果を出せなければ意味が無い、結果を出さなければ応援してくれる人々に感謝を伝えることができない、と悔しがる選手が多くいました。しかし私はそうは思いません。いつも頑張っている選手たちに、陸上競技を通していい思いをしてほしい、ただその気持ちでマネージャーをしてきました。陸上をしていて良かったとか、今回のレースも楽しかったとか、そのようなプラスの感情を味わってほしいと思います。だから、結果だけでなく、自分の感情も大切にしてほしい。これまで頑張った自分のことをちゃんと褒めてほしいと、選手一人一人に伝えました。
自分の力では到底見ることのできない景色を見させていただきました。1月3日の復路に限らず、この4年間を通して、かけがえのない貴重な経験をたくさんさせていただきました。頑張る選手たちにいい思いをしてほしい、という気持ちでマネージャー業をしていましたが、いい思いをさせてもらっていたのは私の方だったのではと、最後に思いました。
特にこれといった能力を持っていない私は、自分自身の存在価値を見い出せず、辛い時期もありました。彼らのために何ができるのか、自分の今の取り組みは正しいのか。漠然とした不安の中で仕事をしていました。裏方であるマネージャー業は、結果や評価が目に見えてわかるものではないためです。
そんな時、仲間や家族の存在はもちろん支えになりました。しかし、当時の自分にとって最も頼りになったのは自分自身でした。自分の、自分自身との信頼関係が、辛くなった自分に勇気を与えてくれていた気がします。自分自身との信頼関係は、高校時代に3年かけて構築されたものです。陸上の長距離という大半の人が嫌う過酷な競技(私は好きでしたが)をやり切ったこと、3年時には部長を務めたこと、勉強との両立を果たしたこと。これらの経験が、常に自分の背中を押してくれました。「自分なら大丈夫。」と、その自信が、不安な自分を救ってくれました。
陸上人生で培った全ての経験を、今後の社会人生活に活かして、また頑張っていこうと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今後とも中央大学の応援のほど、よろしくお願い申し上げます。
東 玲実


